先日、アマゾンプライムで庵野秀明さんのドキュメンタリーを見ていて、なるほどと思うことがありました。庵野さんは口数が少ない印象で、スタッフの皆がいろんな提案をしては「そうじゃない」「わかんない」と答えていく。
一体この人は何を作ろうとしているんだろうとスタッフさんは困惑しながらも、毎度のことと楽しんでいるようにも見える。本人も分からないことを他人からの提案を集めては削除していく「こうじゃないのは分かる」を繰り返しながら作品を作っていく姿は木彫りにも少し似ているなと画面を見ながら私は思うのでした。イメージをスケッチして彫り始めますが、完成は私にも分かりません。けれど、彫り進めていくと違和感に気づき彫り進める。その連続で作品が出来上がっていく。
数年前、友達とロベール・クートラスの展示を観に行ったときのことです。彼女はクートラスが何度も描いたご先祖様の絵が並んでいるところで私に問いかけてくれました。
「どこで完成と思って筆を止めるのかな」
私は、そんな事を考えたことが無かったので改めてハッとしました。確かに、何枚も同じようなご先祖様が描かれていて、こうでもない、こうでもないと何度も描いたのではないかなと?憶測でしか言えませんが私なりの考えを伝えました。今思い返してみると、彼も何度も描きなおして削るような作業を繰り返していたのかもしれません。

これで完成!と思った瞬間から反省点が見えてくるのも、創作の喜びでもあり苦しみでもあります。工房に作品があると反省点が気になり彫りなおすこともしばしば。販売をするために作品を作っているのではないけれど、作品がたくさん傍にいてくれない方が良いのかもしれないなと少し思うようになりました。アニメーションでジックリと向き合う作品と完成と共に手離れていく作品とがあったほうが工房は風通しがよいのかもしれません。
どの世界の人も、きっと「こうじゃないのは分かる」を繰り返しているから創作を続けられるのかもしれません。
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