朝ドラのちむどんどんもそろそろ終盤になってきましたね。主人公の暢子の結婚披露宴でフォンターナのオーナーが「汝の立つ処深く掘れ、そこに必ず泉あり」というニーチェの言葉を引用してスピーチされていました。
外に求めるのではなく自己の内がわを見つめよという意味だそうですが、なかなか難しいことばです。
私はこの言葉を聞いて思い出していたのは木彫りを始めた時のことでした。いざ彫ってみようとした時に何を彫っていいのか分からなかったのです。木彫り教室で学んでいた時は、課題があり基本がありお手本がありました。それをただ忠実に彫ることに一所懸命になればよかったのです。彫っている時は無心になり学ぶことの喜びを噛みしめていたのですが、さぁこれから自由に彫ろうとした時それはハガキほどの大きさの板が何十畳の部屋のように広く感じたように思います。最初は他の人の作品展を見に行ったり、本やインターネットで観たりして心惹かれる作品を真似てみたりして、ひたすら彫っては発表していました。
私の泉というのは具体的にクマだとかウサギだとかということでもない。形で言えばブローチや人形など決まっていないもの。伝える媒体がさまざまにあるように私も作品の形を変えてきたようにも感じます。では私の泉は無いのかと言われるとそうじゃないはずと思いたい。今まで作った作品たちに共通点があるとしたら物語のキャラクターのようにその作品にはバックグラウンドがあり一つの表情ではないということでしょうか。
湧いてくる物語
それはその時の私を彫るように、心が移り変わっていく様を掘り起こす。足下に泉があるかもしれないと信じることも捨てて、私は毎日呼吸するようにただ彫ることを続けている。自己の泉を見つけるために彫るのではなく、何となく掘っているとことで生かされていて気がつけば泉が湧いていた方がごく自然ではないかと思うのです。
蕾さんでの作品展まであと1ヶ月をきりました。小さな作品たちがすこしずつ出来上がっています。私の泉はどんなものだろうと観てもらえたら嬉しいです。
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