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  • 執筆者の写真yasuyo

書くのは祈り

先日、サリンジャーの映画「ライ麦畑の反逆児」を観ました。最後のあたりで作家活動について彼は「書くのは祈り」だからだと話すシーンがあります。私はこのシーンにドキンとしました。以前、私の作る作品に祈りを感じると言ってもらったことを思い出したのです。言われた時は、何を言われているのかが分からず、祈っている作品を作ってみたりしたのですが、返って混乱してしまって一旦その言葉を脇に置いておくことにしました。サリンジャーの言っていた書く行為そのものが祈りだというところに私はなるほどと納得したのです。私が何について祈っているかということではなく、うまく言えませんが祈りにも似ている心のもたれ方なのではないのかと思ったのです。これをしなければ私は私でいられなくなるような。柱に抱きついているとでもいいましょうか。その結果、作家から滲み出る祈りのような創作の姿が作品に反映するのではないかと私は気がついたのです。




ライ麦畑でつかまえて以降は出版や映画化を断り執筆活動だけに生涯を賭けたサリンジャー。そんな彼に少しだけ私を重ねて、こんな生き方があってもいいんじゃないかなと思ったのです。まだまだ見返り無くできるかと言えば自信はありませんが、肝心の創作が瘦せ細り養分もなくなるぐらいなら、急がず弛まず祈るような創作を続けていける環境を耕す努力をした方がいいのかもしれません。









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