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執筆者の写真yasuyo

めざす音

アニメーションを撮る作業に入ってから、映画を観る視点が変わってきた気がするんです。幼い頃はアニメやドラマを見ていても、ほとんどストーリーが入っていませんでした。内容を追うというよりも映像を見ているのが好きだったのかもしれません。スプーンおばさんやニルス、とんがりぼうしのメモルなどの世界観が大好きでした。


今まではストーリーに浸りながらボーっと見ていたのですが、シーンとシーンの間にある映像であったり登場人物の心をどんなふうに表現するのかとか制作サイドに関心がいくようになってきました。これは小説を読んでいる時と似ていて、ちょっとした言葉のニュアンスや、その時の空気感を得るための情報を肌で感じるためのプロセスみたいなもの。映像の勉強をしてきた訳ではないのですが、少しだけ作者の意図が感じられるようになってきたのかもしれません。






宮下奈都さんの「羊と鋼の森」という小説が映画化され先日アマゾンプライムで観ることができました。小説で読んだときは、まだ創作活動を始めたばかりで実はそんなに作品に惹かれなかったのですが、改めて映画を観てみて読んでいた時には気づかなかった師匠の言葉に強く心を打たれました。


明るく静かに澄んで懐かしい文体、

少しは甘えているようでありながら きびしく深いものを湛えている文体

夢のように美しいが現実のようにたしかな文体


この言葉は原民喜が堀辰雄の牧歌を読んだ時の感想の一文だったそうですが、掴めるようで掴めない近づけそうで近づけない言葉に思えます。文体やピアノの音と同様に木彫り作品や映像作品にも言える言葉だと思います。分かりやすい表現は、真似をすればできるのかもしれませんが、こういった長い時間をかけて人の心に沁みわたるような作品というのは、どんな達人であってもずっと追いかけ続けて手に取ることができない音のようなものなのかもしれません。


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